My Story
新里 真人
バプテスマ
私は、1971年4月2日に神さまから命を頂きました。
両親とも、私が生まれた時にはイエス様を救い主として受け入れた、クリスチャンの夫婦の家に生まれました。
小さいときから家庭には祈りがあって、教会にも両親と共に通っていました。
そういう環境のもと私自身「イエス様は私の罪の赦しのために十字架に
かかってくださったことを信じます。」とイエス様を救い主として受け入れ、
1983年8月に那覇にある隣人キリスト教会の田中菊太郎牧師によって洗礼を受けました。
洗礼を受けた後は、「神様の子供になれた」「永遠の命を頂いた」という喜びでいっぱいでした。
また、イエス様を救い主として歓迎して、洗礼を受けて、私は聖い者になれると思っていました。
そして、洗礼を受ければすぐに「証し」「伝道」が出来ると思っていましたが、出来ませんでした。
イエス様を救い主としてお迎えし、洗礼を受けて「神様の子」になったら、すぐにでも証し・伝道が出来ると勘違いしていました。
周りの友達や隣近所の人に「イエス様は私たちの罪のために、私たちを死から救い出し、永遠の命を与えるために、十字架にかかってくださったんだよ」と、福音を述べ伝えることが出来ると。
葛藤
しかし、証し・伝道が出来ないどころか、「お前だけがイエス様を受けいれて永遠の命を受ければいいとお前は思っている。お前は自分だけが救われればいいと思っている。だから、証し・伝道が出来ないんだ」という思いが段々私を支配してきました。
その思いはやがて、「私はイエス様を本当の救い主としてお迎えしていないのではないか?」という思いへと変わっていきました。
そんな思いの中、6年生に洗礼を受けて、中学からは部活動も始め、日曜日も練習、試合があって、次第に礼拝から遠ざかっていきました。
「神様を礼拝しない、教会へも行っていない」
このことで私は「神様に背いている」という思いが強くなり、教会から離れる・・・
というか、教会へ行くことが出来なくなりました。
何度か教会の前まで行ったこともありましたが、どうしても教会に入ることが出来ませんでした。
それから20数年間教会から離れていました。
妻の救い
でも、イエス様が私といつも共にいることを教えてくれる機会を与えてくださいました。
それは夏子というパートナーと結ばれることから始まりました。
彼女は本当の神様、救い主を求めていました。
幸いなことに、イエス様の導きによって妻のお母さんがイエス様を救い主としてお迎えし、
救われ、金武教会へと導かれました。
また、妻のお母さん、金武教会の兄弟姉妹、聖子先生、牧師先生の祈りによって、
妻もイエス様を受けいれる恵みに預かりました。
私を待っていたイエス様
妻がイエス様を受けいれる学びの中で、なかなか教会へ行けない妻のために、
聖子先生が私たちの家を訪問してくださって家庭での学びの機会が与えられました。
しかし「神様に背いている」という思いに囚われている私は、家庭での学びのときもあえて学びの時間を避けていました。
でも、神様に背いている、私は汚い心のクリスチャンとは言えない者、
という思いと同時に 「私の神は一つ」 「救い主はイエス様」という思いだけはありました。
苦しいときだけ思い出し、祈るだけの者でしたが、私は私自身がイエス様のこと、神様のことを忘れていないつもりでした。
家庭での学びを避けていた私でしたが、何度か聖子先生とお話しする機会がありました。
その中で教会へも行かず、礼拝も出来ていないが、
私はイエス様、神様のことを忘れていません、という話をした時に、
聖子先生に
「違うよ、真人さんがイエス様、神様を忘れなかったんじゃなくて、神様が、イエス様が、真人さんを覚えていてくださって、話さなかったんだよ」
と言われました。
最初、この言葉を聞いたとき、正直「そうかな~?」って感じでしたが、次第に心に染みてきました。
「私がイエス様を忘れたんじゃなくて、イエス様が私を今も覚えて共にいてくださる・・・。」
今までに感じたことのない、頭で理解するのではなく心に直接入ってくる感覚、
「そうだ、私が忘れなかったのではなくイエス様が本当に離さなかったんだ!」という確信、喜びが来ました。
再び教会へ
この確信がこれまで妻を教会へ送ることは出来ても、教会の中に入ることが出来なかった私を久しぶりに教会の中、礼拝へと導いてくれました。
それから毎週礼拝にいけたわけじゃありませんが、行く度に
「洗礼を受けたからといってすぐにいい人になれるわけじゃない」
「人間は肉の思いがある」
「聖霊様を歓迎し、受けいれたときに伝道が出来る。」
と牧師先生の説教はまるで私に話しているんじゃないか、というメッセージばかりでした。
そして、牧師先生のメッセージを通して、「そのままのあなたでいいんだよ」
「礼拝に来ていいんだよ」とイエス様が語っていると感じられるようになりました。
教会から遠のいてしまったときは「頭」でイエス様を理解しよう、考えよう、と思っていたのが、自分でも本当に不思議ですが、今は直接イエス様が私の心に語りかけて下さっていることを感じることが出来ます。
牧師先生はおっしゃいました。
私たちが礼拝をおささげ出来るのは、王の王、主の主からのご招待があるからだと。
私はこの招待状をいつまでも頂きたいのです。
イエス様の体である教会につながり、神様に礼拝をおささげしたいのです。
イエス・キリストを私の罪からの救い主、人生の主として信じ、生涯従っていきます。
また、新しい神の家族として金武バプテスト教会に導かれたことを確信し、牧師先生を始め、教会員の皆様と共に歩んで生きたいと思います。
私を再び教会、礼拝へと導いてくださったイエス様に心から感謝します。
「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
詩篇37:5
主は待っています!
あなたも教会へ来てみませんか?
私を導いてくださった全ての過程と問題を通して解決してくださる主に感謝します。
そのことを通してクリスチャンとの出会いを与えてくださった主に感謝します。